小室直樹さんと言えば、私は大学時代を思い出す。
高校時代に政治学者の丸山真男さんに憧れ理解系から文科系に
転向した。大学では希望ではなかったが経済学を専攻する
こととなった。
経済学を習いたてのころは、市場の動きなど抽象的な議論が
多く、期待していた社会を鋭く切るというに議論にはほど遠く、
なかなか興味をもつことができなかった。
そのころに、出会ったのが小室直樹さんの書籍であった。
カッパブックスというアカデミックな本とは程遠い本であったが
歴史・宗教の本質的な知識に基づき、最新の経済学、社会学、
政治学を駆使し、現在社会を鋭く分析する論理に強く惹かれた。
数学、経済学、社会学、政治学をその道のトップの大学で極めて
いるキャリアにも関心した。
小室直樹さんの本を読むことにより、経済学の抽象的な一般
均衡論についても興味を持つことができたし、マックスウエ
ーバーの思想にも関心を持つことができた。
社会科学の面白さを教えてもらった先生である。
学園祭で講演をお願いし、そのときに『危機の構造』に直筆
のサインをしてもらった記憶も蘇る。
その小室直樹さんの思想と学問について、門下と自認される
橋爪教授と副島さんが語られた内容を文書にした書籍である。
まずは、1980年に出版された『ソビエト帝国の崩壊』の話
から始まる。ソビエト連邦が崩壊したのが1991年であるから
この予言は10年後に見事的中した。
私は、この本の価値は予言が的中したことではなく、社会科学
の分析・論理展開のすばらしさにあると思っている。
ソビエト帝国を構造・機能分析をすることにより、崩壊するとの
結論に導いていく。
ソビエトの本質は、マルクス主義を国教とする人為的な国家であり、
その宗教の目的は資本主義以上のすばらしい社会を実現していくで
あったという。しかしながら現実には、
・社会主義は、階級をなくすどころか新しい階級を作ってしまった。
・計画経済は、資本主義をなくすどころか新しい裏の経済を作って
しまった。お金を持っていても、それで必ずしも商品が買えると
は限らないので裏の経済に頼ることになる。
・計画経済は、技術確認による質の向上と価格の低下とは正反対の
「ある工場は鉄を何万トン生産して生産目標を達成した」という重量
で図った生産ノルマの達成と消費者無視を必然的に帰結してしまう。
これは重工業時代にはそれなりにうまく行ったが、技術進歩が早い
経済ではうまくいかない。この分析は計画経済の本質を突いている。
・人々を自由にするどころか、西洋型の自由が全くない社会を作って
しまった。
無理にでもマルクス主義の中に未来を賭けていこうとすれば、一種の
ロシア正教的なメシアというか、偶像というか、個人崇拝の要素が
必要となってくるが、1956年にフルシチョフによってなされた
スターリン批判により、求心力をなくし、急性アノミーに陥っていた
と分析する。
さらに、ソ連邦を構成する共和国は、ソ連邦を離脱して独立してよい
と憲法72条に明記されており、強制力、軍隊によってのみしか民族
問題を解決できない構造であったという。
農業においても、スターリンは農民から土地を取り上げて国営農場、
集団農場に押し込み、農民は、スターリズムの潜在敵国を形成して
いたという。このような状態で農業の生産性は上がらず、農業が
崩壊したという。
また党と軍の関係を以下のように分析している。
ソ連陸軍は、トロッキーによって設立されドイツ軍の指導のもとに
近代化されたこともあり、親独的な関係があり、党としては信頼が
おけない。共産党とソ連陸軍という二大組織が単なる分業と共同の関係
にたちつつ併存することはありえないという。
これらの分析から、ソビエト連邦は自己矛盾を起こし、崩壊すると説く。
またマルクス主義は、ユダヤ教と以下の共通点を持つ宗教であるとも
付け加えている。。
神との契約が宗教の内容をなし、これが法であり、規範でもあること。
魂のき救済とか何とかがなくて現世救済であること。
個人救済ではなく契約による集団救済であること。
ソビエト帝国の崩壊の分析をたどったあと、小室さんの学問・思想の
中身に入っていく。
小室さんは、社会を「社会システム」として捉えており、これが基本
思想、フレームワークであるという。
ここで言っている「システム」とは
「多数の変数がお互いに複雑に結びついている全体」と定義している。
この社会システムのベースとなっているのが、経済学では、ワルラス、
ヒックス、サムエルソンの経済学の一般均衡理論であり、社会学では
パーソンズの構造・機能分析であるという。
パーソンズの社会学は、個人も集団も、国家もシステムであり、シス
テムとシステムの間で変数のキャッチボールが行われる「境界相互交換」
と大きなシステムは小さなシステムに分かれていく考え方より成り立って
いる。システムの分かれ方としてAGIL理論を紹介している。
A:Adaptation ⇒経済
G:Goal Attainment ⇒政治
I:Integration ⇒シンボル
L:Latent Pattern Maintenance and Tension Management) ⇒文化
変数の結びつきを構造と呼び、それがシステムに個性を与えていると考える。
変数の間の安定したパターンがある。これを構造と呼んだ。
構造が構造としてあるあり方を維持する働きを機能と考える。
どんなシステムもAGILという四つの機能に集約され、それぞれの
目的を維持するように活動しているとの考えに立っている。
機能とは結局のところシステムが自分を維持するための条件を示すもので
ある。
小室さんはウエーバこそ構造・機能分析を先取りした社会学者であるという。
さらにフランスの社会学者であるデュルケームからはアノミー概念を得ている。
これらの経済学と社会学をベースに構造・機能分析の小室バージョンは以下の
ように示せるという。
① 社会は変数の集まり
x1、x2、x3、・・・・・、xn
②変数の間には製薬がある。
f1(x1、x2、x3、・・・・・x)=0
f2(x1、x2、x3、・・・・・x)=0
・ ・・・・・・
fn(x1、x2、x3、・・・・・x)=0
③関数f1、f2、・・・fnを構造と呼ぶ。
構造が、均衡x1*、x2*、・・・・・xn*を決定する。
④それを、機能評価する。
この構造の下で変数の値が決まるとその変数の値がさらに機能的に
(例えばAGILの観点から)評価される。
機能評価関数、限界機能
⑤機能が達成されなければ、構造が変動する。
つまり、①から③において、対象が価格・数量だけなら経済学の一般
均衡に過ぎないが、価格・数量以外に文化や権力を対象とし、それら
を④で4機能評価することを考えている。機能評価が達成されなければ
構造が変動する。つまり社会の構造変動を機能の観点から説明する。
小室さんの活躍された知的フィールドは多く、法律学、政治学でも活躍
している。
法社会学で小室さんの考え方をよく著している例でとして、法の
サイバネティクスモデルを提示している。
裁判過程は社会を制御する。さらに法(的制御)は裁判過程を制御する。
かくて、このような二重制御のメカニズムを通じて、法は社会制御と
して機能すると。
政治学での思考は、丸山真男氏が重視した「作為の契機」をベースに
している。ここでは、近代以前の伝統主義な社会では。社会のあり方、
制度や習慣や権力は、あたかも天然自然のごとくそこに「ある」と捕
らえているが、近代社会の人々は、それらを人間が「作り出した」も
のだと考える。人々の意思で、返ることができると考える。
このことの強烈な自覚なしに民主主義は成り立たないと言う。
この考え方を、小室さんは「危機の構造」で描く日本社会の危機として
描いた。企業や学校なのどのさまざまな組織が(擬似)共同体に転化して
しまい、それが本来果たすべき機能を差し置いて、自己の存続を自己
目的化していくというところにあると説く。
丸山真男氏の超国家主義研究を現在に適用している感じである。
小室さん、さらに田中角栄問題と中国・韓国分析を行っている。
田中角栄問題は、田中角栄を袋井叩きする世論に反対し、国民に違う
観点から考えることの必要性を訴える目的が先にありだったと私は
思っている。30年前の大学祭でここのところを質問したが、私は
理解できなかった。この本の中で、副島さんが
「国会議員の地位は憲法によって国内のあらゆる勢力の攻撃から
守られている」との論拠で説明しているが、やはりよく分からない。
韓国の分析のサマリーは以下のとおりである。
韓国は、輸出が増えれば増えるほど輸入が増える国であり、世界経済
の動向が何倍にも増幅されて、自国経済に跳ね返ってくる。さらに
その輸出のために日本の半導体や先端技術を大変な額を買わなければ
ならないことで、日本との関係では深刻な経済不均衡を引きずり続け
るという。さらに韓国の企業では人材が育たない、あるいは韓国人の
社会では労働のエートスが成立しないという厳しい指摘を行っている。
この当時、輸出・輸入構造から韓国の課題を論じていることは流石だと
思うが、後半の人材や労働のエートスについては、昨今のサムスン等の
躍進を見るにつけ、必ずしもあたっていないと思う。
最後に中国ついて、以下のように分析している。
中国は、底辺が宗族という血縁手段からなり、官僚組織は、血族の原理
とは無関係に運営するかとなっている。このシステムが資本主義とミス
マッチであり、政治的な自由主義、民主主義と調和しない。
そのとおりであるが、最近躍進凄まじい中国を小室理論で分析してほし
かったと思う。
最後に、小室さんが追求したのは、人間の発想と行動を捉えている根底的
な要因は何かということに対するあくなき追求であったと二人は述べている。
2000年までの「もの」を中心とした経済、覇権争いの国際政治の分析
では大変的確で、今読んでも勉強になると思われる。
GoogleやFacebookが主役の、「ものつくり」精神のエートス
と異なる情報ネットワーク社会、中国・インドの経済的台頭した世界につ
いて小室さんならどんな分析をしただろうかと考える。
当時の小室さんの分析は、私にとって、社会や世界の方向性を社会科学的に
理解する羅針盤でもあった。
今は、私自身、最近の情報ネットワーク社会、エコ経済の歴史的意義、
今後の方向性がつかめず、表面的理解にとどまっていることを反省して
いる。
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