2010年4月28日水曜日

中国人の心理と行動-行動文法- 

 中国語の勉強を始めて3ヶ月経った。読みがなかなか難しいが、少し慣れてきた。言語だけでなく中国人についてより詳しく知りたいと思っている。しかしながら中国は、22の省と4直市、5民族自治区より構成されているので、統一的概念で理解できないようだ。民族的には漢族と55の少数民族があるとのことで中国人全体の行動原理を一般化して理解することはできないのだろう。
そうは言いながら、中国人について知るためによい本はないかといろいろと探してみた。日本人との違いを面白おかしく書いたお手軽本か、古代思想、歴史を中心にした学術書が大半であり、なかなか求めている本は見つからなかった。
 その中で少し古いが(2001年出版)社会学アプローチで中国人の行動文法を分析した本が見つかったので、以下にサマリーを書く。この本では、中国人の行動を以下のキーワードで特徴付けている。
 ①面子(mianzi)ミエンツ)
 ②関係(guanzi)グアンシ)
 ③人情(renqing)(レンチン)
さらにこれらの特徴は、中国における家族や親族の構造に起因しているとして、家族構造


についても説明している

1.面子
 中国人は、自尊心が強いと言われる。言い換えれば、「自分は周囲に高く評価されているという意識が強い。」ということである。日本人、中国人を対象としたアンケートでもそのような結果となっている。中国人が面子を重んじる例として、宴会での特徴を述べている。
 宴会では、ホストは客人が食べきれないだけの料理を出し、客人はホストに感謝しつつも多くを食  べ残す。こうしたルールを守ることがホストの面子を保つこととなっていると言う。
 ホストは参加者の面子を保つためにできるだけ参加者を平等に取り扱い、個々に乾杯の理由を見つけるという。中国人は、できるだけ平等な処遇を受けることが、それぞれの顔を立てあうことになると考えており、ある人間が成功することに対する嫉妬・やっかみが多いと言う。この嫉妬・やっかみを「紅眼病」と言う。
 中国人は、自尊心が強く、自己中心的な性格なので、当然自己主張は強いが、自己責任の意識は弱いという。自分を中心に物事を考えるのであれば、自らの責任の範囲をはっきり意識した上で、権利ー義務関係を明確にしそうだが、そうなっていないと言う。
 つまり、中国人は、自分と相手が、それぞれの面子を媒介にして人間関係を形成しており、それがお互いの面子を支えるものであるかどうかによって、自らの行動を大きく変える点に特徴があり、状況依存的な性格を持っているとも言える。
2.関係
 中国語では、ある特定の目的のために人間関係を利用することを「拉関係」と言い、関係のネットワークを「関係網」と言うらしい。この関係こそ、中国で生活する上で必要不可欠な処世術であり、中国的な人間関係の根本であるようだ。以下のような特徴が見られるという。
 ①関係を通じて流れる資源の量が日本に比べて圧倒的に多い。
 ②個人間の関係は物資的な基盤によって支えられている。抽象
  的な理念や友情を共有するだけでなく、具体的な物質ー食事
  や贈り物、バック・マージンのやり取りによって関係は発見され
  維持されていく。
  贈り物も、また関係を支える重要なツールである。
 ③日本人に比べ、関係をもつ者の間には、強い親密感が生じて
   いる。これは、逆に関係を持たない同士には相互的な感覚ど
   ころか、時には敵対的な感情が支配することを意味している。
 ④個人を中心に広がっており、伸縮自在である分、だれとだれの
   間に関係が存在しているか外部から分かりにくくなっている。
   それに対し、日本人の人間関係は場を中心に広がっている。
 これらの特徴は、「合股」という中国特有の組合組織から生まれ
 てきたという研究もあるようだ。
 「合股」は、「相互に熟知し、信頼しあっている地縁・血縁・知友関係者が出資して、等額に分割された株を一定額ずつ持ち合い、一定年限の下に事業を営む、法人格を持たない組合組織」のことのようで、以下の特徴が、上記の中国人の関係主義に対応すると言う。  
  ◆信用を媒介にして合股となる。
  ◆さまざまな経路を通じて合股になるため、融通無碍である。
  ◆個は合股(集団)に対して利益の配分を要求できる。
  ◆つまり「私」が「公」に対して私的関与分を主張できる。

3.人情
 誰の面子を立て、誰の面子をたてないのか。誰との関係を重視し、誰との関係を軽視するのか。こうした決定に人情が果たす役割は大きい。人情を、「自己からの距離(親疎の度合い)によって他者を位置づけ、その距離に応じてみずからの行為を決定しようとする心理的メカニズム」と定義付けしている。特にこの「親」と「疎」を分けるものとして、姓の持つ意味は大きい。中国語では名前を聞く質問だけでなく 姓のみを聞く言葉がある。(「你貴姓?」(あなたの姓は?)。 姓のもつ意味は大きく、「同姓不婚、異姓不養」らしい。中国では、血縁関係を非常に重視し、結婚しても女性は姓を変えない。つまり結婚後も妻と夫は別の血縁集団に属しているということらしい。
 こうした血統主義の強さは、血縁関係の有無によって親疎が決定的に違うことを意味している。
4.家族構造
 今まで見てきたように、中国人の行動文法は、①面子、②関係、③人情を特徴とする。これは中国人の家族構造と深く関係するとのことである。
 中国の家族は、以下の特徴を持つ。
 ① 血縁主義が強い。養子も血族を重視。
 ② 血縁者による資産共有化の概念が強い。
 ③ 遺産継承は、均等配分。(日本は長子相続が原則)
 日本では「本家」に対する「分家」であるが、中国では、分家は、文字通り家を物理的に分割しすることを意味する。中国の場合、父親と血が繋がっている男の子が、親の資産を均等に継承するに値する十分な権利をもっている。

5.行動文法としての関係主義
 中国を代表する社会学者であり人類学者である費孝通は、「なぜ中国には公共道徳が欠けているのか」と問い、中国人の人間関係が同心円状に広がっており外と内とで異なる行動をすることにその原因を求める。これを「差序格局」(格差と序列によるモデル)と呼んだ。
 また、黄光國という中国の社会学者の以下の分析を行っている。大変興味深い。
 中国社会において個人から拡がる関係の親疎によって三つの類型を作っている。
 ① 家人 :「情緒的関係」が成り立っており、「欲求原則」が支配。
 ② 熟人 :「中間的関係」が成り立っており、「人情原則」が支配。
 ③ 外人 :「道具的関係」が成り立っており、「公平原則」が支配。
 特定の資源を必要としている者と、これを所有している者という二人の行為者を想定しそこで見られる交換関係を分析する。まず資源を必要とするものは、みずからの面子の及ぶ範囲内でこれを所有するものを見つけようとする。これが「面子功夫」と呼ばれる行動である。そして資源を所有する者とわたりをつけてあり(拉関係)、結びつきを強化しよう(加強関係)とする。資源を所有するものは、これを必要とするものとの関係を判断しなければならない。みずからの面子が守られるかどうかが、相手との関係に大きく依存している。もし相手が、家人であれば-つまり相手との関係が情緒的であれば-その要請に対して無条件に対応する。もちろん長期的にはその見返りを期待している。)。もし相手が外人ならば-つまり相手との関係が道具的であれば-その要請に対しては公平原則を持って対応する。ところが相手が熟人で、相手との関係が中間的であれば「人情のデイレンマ」に悩み、最終的には「回報」の原理に支えられた、人情原則に依拠した形で判断されることとなる。収支計算を考えて判断することとなる。
6.権力構造
 本来形式合理性を備えているはずの官僚制が、中国では顔を持った存在として機能していたり、中国でのビジネスがだれと結びつくかによって成功したり失敗したりするするのは、関係主義が「権力ゲーム」的要素をもっているからである。
 中国の権力構造の特徴の一つは、巨大な権力を持つ「ストロングマン」を抱いてきたことである。関係主義の横行は集団内部の対立を惹起する。個々の成員はそれxぞれに強い自己中心性を備えており、資源の分配方法を誤る指導者に「リーダ失格」の烙印を押そうとする。こうした不満を回避・解消するため、指導者は下位者を公平・平等に扱わなければならず、それだけの人徳を備えていなければならない。権力者は、「関係の消失点」(そこから全ての関係が発生していると思われる架空の存在)として立ち現れることになり、そこに大きな権威と権力が付与されることになる。
 中国の指導者は、規則を破ったものに対して罰則主義的に振舞おうとするが、お目こぼしばかりしていると、民衆が「特定の人たちと個別な関係もっているに違いない。」と不信の目でみるようになり、正当性を失いかねない。権力者が権力者たりうるのは、個別の関係を超越していながらも、人々に施しを与えるだけの力を備えているからなのだが、これは一種のジレンマである。このデイレンマを解決するため、中国の権力者は、以下のスタイルを作り上げてきたと言う。
 ① 具体的な行動ではなく、自らの存在を正当化するイデオロギーを鼓吹
 ② 一般的な原則と実質的な判断を使い分け
 ③ 政策の結果に対して責任を負わない。

 中国人の行動文法を分かり易く説明しており、大変興味深く読んだ。ただここに書かれている中国人の行動文法をゲーム理論を用いて分析できるのではないかと思っている。日本の田舎においてもこのような傾向は多かれ少なかれ見られるし、「ヤクザ」の世界はまさにこの関係主義により成り立っているようにも思える。置かれた環境(資源の状況や情報の共有状況)により、このような行動文法がゲームの最適解になるのではないかと思う。以下の本を参考にに、少し検討してみることとしたい。