中国を政治や経済、歴史の観点だけでなく、社会学のフレームワーク
で理解したいと思い、ちょこちょこと本を読んでいる。
日本を代表する社会学者によって書かれたアジアの近代化に関する
本が見つかった。
1998年に出版された本なので、中国の最近の発展については考慮
されていないが、日本の近代化を社会学で分析し、そのフレーワーク
で中国の近代化の可能性、課題について分析されている。
社会学者である富永健一氏がそれ以前に発表した論文をまとめたもの
であり、マックスウェーバーさらにはパーソンズのフレームワーク
を活用し、日本の近代化、中国の近代化を分析ししており、大変
興味深く読めた。
まずは近代化を以下のように定義する。
マックスウェーバーの近代化の定義
(1)経済の領域における近代化:近代資本主義の形成
(2)行政と法と政治の領域における近代化:近代官僚性と
近代民主主義
(3)社会の領域における近代化:家ゲマインシャフトと
氏族ゲマインシャフトと村落ゲマインシュフトの解体、
及びこれによる近代家族、近代組織、近代都市の形成
(4)文化の領域における近代化:呪術からの解放、及び
これによる合理的な精神の成立
富永氏による近代化の定義
(パーソンズのAGIL図式を再解釈)
(A)経済的近代化は、近代的経営組織によって担われた
資本主義の発展とこれによる近代経済的成長の実現。
(G)政治的近代化は、近代官僚性組織によって担われた法
と行政の発展とこれに基づく民主化の実現。
(I)社会的近代化は、血縁ならびに地縁による基礎社会
(ゲマインシャフトを解体し、機能別に形成された目的
社会(ゲゼルシャフト)を組織化しこれによって自由
で平等な市民社会の実現。
(L)文化的近代化は、伝統や因習による拘束(魔法の呪縛)
からの解放によって,思想や宗教や生活様式における合
理化を実現する。
ウェーバーは、
あの有名な『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
で、「資本主義の精神」の敵対者は「伝統主義」であり、キリ
スト教自体もその古代中世的形態においては伝統主義に他
ならなかった。キリスト教をこの伝統主義から離脱せしめた
ものこそ宗教改革の所産としてのプロテスタンティズムで
ある。
その経済的合理主義への指向によって伝統主義を離脱して
いった。
現世的な職業を「神から与えられた天職」であるとする思想
を創始したのは、宗教改革の最初の提起者であるマルチルタ
ーであるが、「天職」観念はまだ伝統主義の枠から離脱した
とは言えないものであった。
カルビンの「予定説」が伝統主義からの離脱のコアであると
いう。来世において救いが予定されているか否かは純粋に神
のみの決断によることがらであり、教会や聖職者がこれに関
わることはできない。だからだれも他人を当てにすることも
できないし、いかなる呪術や儀礼も役立たない。
予定説は、純粋の個人主義、呪術からの解放、禁欲主義そし
て合理的な生活態度を生み出した。
予定説の教義のこのような個人主義は、一方では個々人の内
面に激しい精神的孤立化と緊張を作り出したが、他方ではそ
のような不安から逃れて、自分は神によって選ばれているの
だという自己確信に到達するために、ひたすら禁欲に徹して
神の恩寵を得ようとする態度を生み出した。
カルバン派は、修道院や教会内での禁欲は否定されているの
で、そのような禁欲はあくまで世俗内的に、すなわち日々の
職業労働に励むというかたちでなされねばならなとされた。
ウェーバーは、儒教を以下のように理解した。
『宗教社会学論集』「儒教とピューリタリズム」の中で、
儒教にはピューリタリズムにおけるような世俗に対する強烈
な緊張感がなく、ただ現世適応だけがあるに過ぎなかったの
で、呪術が温存されて合理化を達成することができなかった。
また儒教は無条件の現世肯定によって特徴づけられることか
ら、現世における生活態度を規制するだけの力をもった倫理
を生み出すことができなかった。
これらの理由により、儒教はピュリタリズムのように資本
主義発展の原動力になり得なかった。
さらにインドの宗教についは以下のように理解した。
「ヒンヅー教と仏教」で、インドの諸宗教が、純粋に来世
のみを指向して現世を無価値としたために、インドでは禁欲
主義は、瞑想的で神秘主義的なものとなり、ピュリタリズム
の禁欲主義のように経済合理主義や合理的な生活様式と結び
付くことがなかった。
日本についての言及は断片的ではあるが、
(1)神道はアニミズム的呪術的であって、倫理的要求を
何ももってない。
(2)仏教は、神道よりも合理的で宗教的な生活規制を行い、
来世における救済の教義を教えたけれども、徳川時代に
はその威信は衰えていた。
(3)徳川時代の武士が信奉した儒教は、本来中国の皇帝が
儒教にはよっての教皇であったために、日本では政治
的正当性を確立できなかった。
と述べている。
日本が西洋中世と同様に封建制をもった歴史的事実を上げて、
この封建制のもとでのレーエン関係(封土を介しての主従関係)
が、中国の神政政治におけるよりも、西洋的な意味での個人
主義を日本に作り出すのに好都合であったと論じた。
近代化の初期条件に関して日本と中国とを以下のように対比
させた。
(1)支配の構造
(日本)家産制的要素を伴った封建制
(中国)家産官僚制
(2)血縁社会
(日本)同族:物的基礎を特に持たない本家と分家の結び付き。
(中国)宗族:族産のような物的基礎をもった強固な氏族集団。
(3)地域社会
(日本)村落(共同体的規制)
都市(幕はん権力と結び付いたギルド組織株仲間)
(中国)村落(共同体規制と強い宗族的結合の相乗効果)
都市(政治的権力から切り離された同郷的背景をもつ
ギルド的組織)
(4)支配階層
(日本)武士(本来は戦士であるが徳川時代には儒教には
よって訓練された知識人でもあり、幕府とはんの官僚
組織の成員でもある。)
(中国)士太夫階層(儒教にはよって訓練された正統派
知識人。科挙試験によって選抜されて家産官僚と
なる。)
(5)儒教
(日本)封建社会における武士の在り方の精神的基礎。
幕はん体制の基盤たる身分階層的秩序を正当化
する倫理思想。
(中国)世俗宗教であって家産官僚制の精神的基礎。
氏族社会の現世的秩序を正当化するする倫理思想。
以上のように整理し、中国は封建制を経由していないが故に
個人主義が育たず、また儒教の現世適応主義のため、合理的
な生活様式も生み出せず、近代化が日本より難しいと結論
付けているように思われる。
このような説明を今までは納得していたところもあるが、
資本主義と市場経済は異なる概念で、市場経済は近代
以前から発達していた。
資本主義の特徴は、機械を使ったものづくり(産業化)
であり、計画的な設備投資である。
プロテスタンティズムの個人主義と勤勉が資本主義を
起こしたのは事実としても、産業主義を採用するには
中国のような国家主導の経済体制と損得感情の発達した
国民が適しているようにも思われる。
経済が発展すれば、情報がオープンになり自ずから政治
体制も生活も合理化されるようにも思う。